水掛け論の現象学

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先日読んでいた本を見て思ったことなのですが世の中というものは

「この世の物体、概念、行為を脳がどう理解するのか?」

という観点のみで説明できる世界だと僕は思うわけです。

ちなみに読んだ本↓

「悪循環の現象学」 長谷正人著

この本自体は「なぜ悪循環が起きるのか?」を論文っぽくしただけの本ですが
読んで思いついた考え方を美容室に置き換えるとなかなか使えるものになるじゃない
と思ったのでご紹介してみようと思ったわけです

 

いきなり意味不明ですが、もう少し読み進めていただければ
美容室のブログにちゃんとなりますのでご安心くださいw

話を戻して、

「この世の物体、概念、行為を脳がどう理解するのか?」をもうすこし我々の生活に寄りそう形にすると「物事の考え方をどう理解するのか?」というように簡略化することができます

「物事の考え方をどう理解するのか?」を美容室に置きかえると
「自分の髪質の捉え方」になります。

簡単ですよね?
美容室っぽくなってきたでしょうw

が、ここでは一旦「物事の考え方をどう理解するのか?」について
フォーカスしてみたいと思います

なぜならこればわかればあとは芋づる式で
「自分の髪質の捉え方」についての考え方もわかるからです

まああとでちゃんと説明するつもりですけども。

物事の捉え方

みなさん個人個人が物事をとらえる時にどうとらえているか考えたことがありますか?

たとえば朝ニュースをつけるとコメンテーターが喧嘩してたりするわけですが
なぜ喧嘩になっているのか?

ニュースやツイッターでなにかぶっ叩く事が起きれば叩く派と叩かない派に別れますが
それはなぜでしょうか?

もっと有名なのでいうと、ボランティア

ボランティアは偽善だ!という意見と
ボランティアは人の為になるからするべきだ!

こんな論調があるわけです

これらは総じて言い合い、喧嘩、水掛け論になるわけです

僕はこの水掛け論が嫌いでテレビなどは一切見ないわけですが
水掛け論や論争、口ゲンカはそもそも正しいとかそういった問題ではなく、

ただの認識の違いとズレによって起こるだけです

そう、喧嘩の原因は良い悪いではなく
その一歩前にまずは認識の差があるのです

認識の差はコミュニケーションのズレになります

子供が勉強しないとか
上司がムカツクとか
死刑はただしいとか
宗教問題とか

大きな事から小さな事までこの認識1つで簡単におかしな事になります

その結果、「こうあるべきだ!」みたいなべき論が生まれたり
「これは正しいのである」みたいな絶対主義が生まれるのです

なのでまずは何かを議論する場合、かならず最初に
「どの認識方法からスタートするのか?」ということが非常に重要なわけです

ここが違うから水掛け論になるのですよ
当たり前ですよね

前提が違うと話が噛み合うわけがありません

マサイ族とネオヒルズ族が同じテーブルに座っても話にもなりません
片方はウホウホいうし、もう一方は金の話しかできません

しかし多くの人はこれをやるのです

絶賛ウホウホいってるわけですよ
ウンバボー!かもしれないけど。

認識、善悪、存在

まず認識を揃える必要があるとさっき言いましたが
揃えるという事はいくつかあるということです

人が物事を認識する時の方法

それは

認識、善悪、存在

の3つの方法です

認識またでとるやんけ!
思うかもしれませんが認識する方法なのでそらでますw

どう違うのかを1つずついきましょう

認識

認識と何気に使いますが要は「どう思うか?」ということです

どう思うか?って言われてもって感じですが
この感じ通りにものすごいアバウトな概念なのです

要は人による

という事なのですからw

勘のいい方はわかると思いますが「人による」もので
意見の交換をしたってなんの意味もありません

そら水掛け論になりまっせ!なわけですよ
当たり前ですよね?

カレーはおいしい!
カレーはまずい!

この2人が意見の交換をしたって平行線ですよw
平行線どころか喧嘩でしょう

喧嘩にあらなければ「じゃあ私とあなたは水が合わないということで・・・」
という事にしかなりません

善悪

これはわかりやすいですね

正義か悪か良いか悪いか

です

当たり前ですがこれも水掛け論になります
善か悪か?も2択なのですから

まあ認識よりかは意見が別れにくいというメリットはありますが
こちらはタチがわるい

なぜならどちらも絶対主義になるからです

過激な思想家や極端な虐殺、
戦争などはこういったものから始まります

身近なものにすると徹底的な弾圧(イジメ、パワハラ、ルールでの矯正など)
で他人の自由を奪う忌むべきものへとなります

恐ろしいですねー

存在

僕が物事の認識のスタート地点にするべきものと思うのはこの「存在」です

ただそこにある、それを認めること
から始めるということです

ボランティアなんかでいうと「なぜボランティアはあるのだろう?」
という視点です

認識だと「ボランティアは私は良いと思う」になりますし
善悪だと「ボランティアは貧乏人を甘やかすだけだからいらないのだ」となります

認識、善悪は議論になりませんが存在は議論の余地がある
というより議論がはじまる予感しかしません

「まずはみんなでボランティアについて調べてみましょう」

となるしかないからです

何故あるのか?の答えを出すにはなぜ必要なのかを洗い出す必要があります
建設的な話し合いが出来るのです

そしてあらゆる答えを受け入れる事が可能かもしれません
あくまで可能性ですが

 

誰かになにかを言われた場合などもそうです

認識論では「この人はこう思っているからこんな事を言うのだ」となりますし
善悪論では「この人はこれが正しいと思っているのだな」となりますし
存在論では「あの人はこういっていた」となります

認識と善悪論では喧嘩が始まりそうな匂いがプンプンですw

ありのままをフェアに見る

それができるのは存在論的視点のみです

髪の毛に当てはめる、認識、善悪、存在論

もはや誰も読んでいない予感しかしませんが
存在論的観点から髪の毛を捉えると非常にスムーズになります

たとえば「クセ毛」を例にしてみましょう

認識論では「クセ毛だから◯◯である」
善悪論では「クセ毛はだめなものである」
存在論では「クセ毛だ」

となります

認識論だと「変な思い込み」がおこりやすくなります
善悪論だと「自分の髪にケチ」しかつけません
存在論だと「なんでも受け入れられる」ようになります

どうでしょう?
なんか思い当たるふしありませんかね?

僕は髪の毛にたいしては存在論的観点で接していくほうが
満足のいく結果になりやすいと思っています

自分の髪にたいして、水掛け論を行っていないか?
よく考えてみると良いかもしれません

髪の毛がパンチきいた状態になっている方は
僕の見解だと水掛け論を自分の髪にふっかけている人です

なんてMなんだ・・・




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  • 2017 02.05
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古今東西のカットを学び、すべての技術を徹底的&物理的に理解した結果、世界一夢のない美容師になりました

「無理なもんは無理」となんのためらいもなく言います。

そのせいか他店で失敗した変な頭を直してほしいというお客さんや、本当の意味での接客を望むお客さんに絶大な支持を得ています。要は変な頭になりたくない人専用美容室です。

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